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平伏ど用意で


容保は恭しく謝罪書を手渡し、重臣たちの嘆願書は萱野権兵衛が持参した。
この時、容保は密かに鞘から抜いた小刀を伴の者に持たせていたという。耐え難い恥辱を受けた時には自害するつもりであった。

新政府軍の中村という男は、のちに容保の差し出した謝罪書は難解で読めなかったと打ち明けている。
降伏に当たって、城中の傷病者は青木村に退くことになった。
14歳以上60歳以下の家臣の男子は、猪苗代に移って謹慎するようにと言い渡された。
銃器、弾薬はとりまとめて、開城の日に官軍へ引き渡すことになり、一衛の銃も取り上げられた。
がらがらと荷車に放り込まれる武器は、みな旧式のものばかりで、新政府軍は「よくもこんな古いもので、我らと戦う気になったものだ。」と、声を上げて嘲笑していた。

「直さま、わたしの銃が……」
「今は耐えろ。殿でさえ、憎い薩長に頭を下げたのだ。しかし、この光景は決して忘れまい。胸に刻んでおこう。」
「あい……」

泣くまいとして歯を食いしばっても、悔し涙があふれてくる。
理不尽の波にさらされる容保親子の心中を思い、藩士たちは皆しのび泣いた。
至誠の容保がなぜ、朝敵の汚名を着せられ、逆賊と罵られねばならないのか。
自分たちの払った多くの犠牲は何だったのか。
多くの者が愛する血族を失っていた。

後に、会津藩士はこの日の悔しさを忘れぬように、容保がした緋毛氈の切れ端を分け合って、密かに懐に忍ばせた。
それを秋月悌次郎が「泣血繊」(きゅうけつせん)と名付けた。
文字通り、会津の血涙を吸った緋毛氈という意味だ。
血の涙を吸った小さな布を胸に、生き残った会津藩士は首を上げて苦難の道を行く。

転封された土地は下北の斗南と決まった。
移住した者たちは、極寒の北の地で地獄を見た。
数度にわたる大飢饉で、それまで治めていた南部藩には、流れてきた会津人に融通する余分な食料もない。
新政府は、杖をつきやっとの思いで移動する老人にさえ乗り物を出すのを拒んだ。
交わした約束を反故にした理由は、罪人を乗せる駕籠なきないというものだった。
移動の路銀用に下賜されたわずかな金も、食料もすぐに底をついた。
どこに行こうと、逆賊の会津藩という烙印が、重くのしかかってくる。

それでも新天地で刀に替えて鍬を持ち、いつか会津を再興できればと、人々は夢を持った。
だが、新しく得た転封の地、斗南(となみ)は、作物の生育にはとても適さない荒涼とした地で、枯れた木の根と石ばかりが目立つ痩せた土地だった。
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